ぼーんぐん。ものがたり

日常の暮らしの中で感じる心持ちをつぶやきます。

「理念」と「手段」

こんにちは。ぼーんぐんです。

 

みなさんは「デスノート」をご存じでしょうか。

 

デスノート」は、2000年代前半に週刊少年ジャンプに連載されていた大場つぐみさん原作の少年漫画作品です。

 

死神のノート「デスノート」を使って犯罪者を抹殺し、理想の世界を作り上げようとする主人公と、名探偵の青年たちによる頭脳戦を描いていました。

 

死神のノート「デスノート」は、そのノートに「名前を書かれた人間が死ぬ」仕組みです。そのノートを拾った主人公は、自らが信じる「正義」を執行し、世界中の犯罪者たち一掃しようとノートに名前を書いて殺害していきます。

 

「犯罪のない平和な世界」を目指す主人公に対して、それを止めるべく現れた名探偵の青年たちは「人を殺せばどんな理由があっても犯罪者」だと必死に制止します。

 

主人公が目指す「犯罪のない平和な世界」は人としての基本的な価値観(理念)であると言えます。そしてその理想論を「デスノート」という圧倒的な力(実行できる手段)を使って叶えようとするんですね。

 

デスノート」は、この「理念」と「手段」に読者の心が動かされ大ヒットした作品と言えるのではないでしょうか。

 

 

先日、漫画の世界ではなく、リアルな世界で大変な事件が起きました。

 

ニュースや情報番組では、連日「事実の検証」や「犯行の動機の解明」について情報が飛び交っています。

 

中国の思想家であり哲学者の孔子の言葉に「罪を憎んで人を憎まず」というものがあります。

 

みなさんもよくご存じのことと思います。

 

罪は憎むべきだが、その罪を犯した人まで憎むべきではない、という意味ですね。

 

人を殺した罪は決して消えることがありません。しかしその罪を犯した人はどうでしょうか。

 

リアルな事件の背景が徐々に明らかになり、意外な事実が判明してくると、自分がもし関係者であったならと複雑な気持ちになってまいります。納得はしないまでも、犯人の視点から物事をみれば理屈としては分かる部分もあるからです。

 

事件の直接の原因は「親」の行動。そしてその「親」を追い込んだと犯人が理解した「団体」を悪とした。

 

しかし仮にその「団体」が悪だとしても、その「団体」が設立するに至った時代背景が如何なものであったのか。

 

さらにその原因をと、時代を遡っていってもきりがありません。

 

亡くなった元首相は生前、隣国との「未来志向の関係発展」を願っておられました。

 

過去の恨みではなく未来志向で行きましょうと。その願いを叶えることこそが最善の策ではないかと考えるところです。

 

デスノート」では最終回で主人公に「死」が訪れます。死の瞬間、今までの回想をしてやがて静かに息を引き取るシーンです。

 

死の瞬間に主人公は何を感じ、そして何を思ったのか。

 

デスノート」という圧倒的な手段を手に入れさえしなければ・・と罪を後悔しているのでしょうか。それとも・・。

 

今もなお、世界の果てでは暴力装置を使った蛮行が行われています。

 

未来志向が果たして問題解決になりうるのか。

 

「理念」と「手段」について、みなさんは如何お考えでしょうか。