こんにちは。ぼーんぐんです。
花は咲くときはどんな花も「咲く」と表現します。しかし、その花の一生を終える時はそれぞれ違うんです。
〝桜散る こぼるる梅に 椿落つ 牡丹崩れて 舞うは菊なり〟
みなさんは昔から伝わるこの言葉をご存じでしょうか。
単純に「花の終わり」とひとくくりにするのではなくて、花それぞれの在り方を表した素敵な日本語だと思います。
・桜は「散る」
・梅は「零(こぼ)れる」
・椿は「落ちる」
・朝顔は「しぼむ」
・牡丹は「崩れる」
他にも
・菊は「舞う」
・薔薇は「枯れる」
・紫陽花は「しおれる」
多彩な表現を持つ日本語には、花にまつわる言葉は沢山存在しています。これらの花の咲き終わりの表現に、風情を感じないでしょうか。
花は咲いている間に、人からどのように見られ、どう咲ききるかで終わり方の表現が変わるんです。
どれもその花を適切に言い表した情緒ある表現だと思います。
人は花の満開の時期にこぞって花見に出かけます。しかし花の散り際にも魅力があるのです。
「満開の美しさ」と「散り際の儚さ」は隣り合わせなんですね。
さて、花ではなく私たち人間はどうでしょうか。つまり、人間の最期にはどのような表現が用いられるのか。
一般的には「死」という言葉なのでしょう。
しかし、私たちの命が尽きる際にも「死」とひとくくりにするのではなくて、生前、その人がどう見られていたのか、どのような生き様で最期を迎えたのかで、終わり方が変わるのだと思うのです。
現代は世界的な感染症やテロ、または大規模な災害などにより、誰もが、いつ最期を迎えるかわからないものです。
この世に生かされているものはみな、大切な一瞬一瞬を無駄にしないで「どう過ごし」「どう振舞うか」が問われているのですね。
あなたは最期を迎える際にどのような言葉で表現されたいですか。また、そのための努力をなさっていますか。