こんにちは。ぼーんぐんです。
5月頃の話です。
ご近所の印刷会社を営む社長さんと夕食を囲んだ際に、リビングのテレビに大谷翔平選手のうずくまるシーンが流れていました。
何事かと見ているとリプレイシーンで理解できました。
7回表に迎えた大谷選手の第4打席。外角低めに来たカーブをなんとかバットに当てたものの、鋭く回転するボールがホームベース付近で跳ね返り、自身の股間を直撃したのです。
「うわぁ」
咄嗟に苦悶の表情を浮かべた大谷選手は飛び跳ねながら打席を外し、思わずしゃがみ込みます。地元放送局の実況でも「オーノー。見たくない“ショウ”だ」と痛みに耐える大谷を慮っていました。
テレビを見ていた社長さんは、横に座る奥さんへ男性の股間を打った時の痛みを伝えます。
「腰をバットで思いっきり殴られた感じだね」
「私にはないからわかりません」
うまく伝わらないので私に「なあ、痛いよな」と同意を求められました。
私も「そうですね。股間を打った時の痛みは女性にはわからないでしょうね」といいながら、ふと考えた。
果たして社長の痛みと自分の痛みは同じなのだろうかと。
多分違うのでしょうね
人には伝えにくい「体に感じる痛み」は他にもあります。
・痛風の痛み
・尿路結石の痛み
・出産の痛み
身近なところでは、こんなこともあるかもしれません。
・胃カメラ検査
・大腸カメラ検査
経験者でないと理解できない痛みも、感じ方は一律ではないはずです。
さらに身近なところでいうと「予防接種」や「血液検査」の注射針の痛みもあります。
職場で行われる定期健康診断時に注射針の痛みを、「全く感じないね」と、ケロッとしている社員もいれば、打つ前から青白い顔をして「苦手なんです」と大げさに痛みを訴える人もいます。
痛みの感じ方は人それぞれ違うのです。
これは「体の痛み」だけでなく「心の痛み」もそうなのでしょう。
同じストレスやダメージでも、感じている痛さや苦しさはそれぞれ違うもの。それなのに他人はその痛さを安易に自分に置き換えて判断しがちですよね。
「痛みの感じ方が強い」のと「我慢がない」のは違うのですから「メンタル弱すぎや」などど簡単に言ってはいけないと思うのです。
自分の痛みを相手に伝える難しさと、相手の痛みを感じる難しさ。
しかし難しいからといって、その「伝える努力」や「感じる努力」を諦めてはいけないということです。
お互い歩み寄る気持ちが大事なんですね。
みなさんは如何お考えでしょうか。