ぼーんぐん。ものがたり

日常の暮らしの中で感じる心持ちをつぶやきます。

おしりのようなトマトはお好き?

こんにちは。ぼーんぐんです。

 

私の家内の実家は兼業農家です。季節ごとに新鮮で取れたての野菜を都会で暮らす私たちに送ってくれます。

 

「筍」「エンドウ豆」「トマト」に「キューリ」。先日は大玉の「スイカ」まで届きました。

 

有難いことです。

 

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どの野菜も瑞々しくて野菜特有の味と香りが堪能できますが、どれも不揃いなのです。

 

少々大げさに申しますと、大根じゃないかと見間違う大きさの「茄」や、リンゴほどの大きさの「トマト」など、いつも大変驚かされます。

 

都会のスーパーに行儀よく並んでいる商品とは違い、それぞれ魅力的な個性があるのです。

 

最近世間で「フードロス」という言葉をよく耳にするようになりました。フードロスとは、まだ食べられるはずなのに捨てられてしまう食品のことです。

 

世界で年間に生産されている食料のうち、約1/3は手をつけることなく捨てられている事実をご存じでしょうか。

 

ここ数年、SDGs(持続可能な開発目標)の高まりを受けて、「規格外の野菜を使ったレストラン」や「消費期限切れの商品を集めて販売しているお店」が増えてきています。

 

とてもいい傾向です。

 

実際利用をしてみたら何も問題ありません。今まで私たち消費者が、どれだけ売り手の価値観を刷り込まれてきたのかが良く分かります。

 

「色や形が良くないだけで出荷すらされず廃棄されてきた食材」や「消費の拡大目的で早めに設定しされた消費期限」によって価値を失ってしまった商品がどれだけあるでしょうか。

 

大自然の恵みを、儲けの為に無駄にしていることに消費者は気付かないといけませんね。

 

この考え方は「食べ物」だけではありません。「人間」にも通じると思いませんか。

 

「学校や組織では規格外なら役に立たない」と勝手に敗者の烙印を押し排除してきました。

 

しかし世界に目をやると「規格に合わない独自性」や「独特な感性」こそが、ビジネス成功の秘訣だと言われているのです。

 

フードロスの問題も、人間も、ひとくくりの基準で好し悪しを決めつけるのではなく、これからは基準の多様化が求められるということ。

 

遅ればせながらそのことに疑問を持つ時代になって来たのでしょうね。

 

みなさんは如何お考えでしょうか。