こんにちは。ぼーんぐんです。
間もなくお盆です。ご先祖様の「お墓参り」の時期ですね。
みなさんは「お墓参り」にお出かけになるでしょうか。
お盆はご先祖の精霊をお迎えして供養する期間のこと。
お盆の時期に「お墓参り」に行く意味は、ご先祖様が極楽浄土へ行きやすくなる為だと考えられていたり、自分が亡くなったときにも極楽浄土へ行けるようにと考えられているからだと聞きます。
我が家では急な予定のない限りは、毎年家族そろって「お墓参り」に出かけることにしています。
今年は特に連日の猛暑ですから当日は熱中症にならぬよう対策を講じなければなりませんね。
「お墓参り」が終わりましたら家族そろっての食事です。
私は子供の頃「お墓参り」が終わった後の外食が楽しみで親について行った記憶があります。
時は流れて今は自分が子供たちを連れていく側。かつて親父に連れて行ってもらった老舗の食事処へ連れていくこともあります。
お店に入りますと、懐かしい記憶が蘇ります。
親父と一緒に食べた座敷やテーブルも昔のままです。
お店では、私が子供の頃好きだった料理や親父が好んで食べていた料理を今も変わらず提供してくれています。
しかし出てきた料理を食べてみますと、老舗のお店であっても味の変化を感じる事があります。
「以前に食べた味と違うな」
味が薄くなっていたり、逆にしつこくなっていたり、「お店のご主人も代替わりしたのかな」と考えたります。
しかしそれだけではないようです。
その店の味の変化以上に、自分の舌が安定していないということです。
人はその日の体調や、前日に食べたものでも味覚の感じ方は大きく変わるものです。ですから若い頃に食べたものが今は違う味に感じるのは当たり前なんです。
当時とは「体質」も「体重」も「好み」も変わってるんですものね。
かつて食べた「お子様ランチ」が子供の目からは光り輝き食べきれないほどの種類と量を感じたものですが、今見てみるとコンパクトに感じます。
もちろん「お子様ランチ」が小さくなったわけではなく、自分が大きくなっているんです。
それと同じことなんです。
人間関係も同じことが言えます。
付き合いはじめは意気投合して、とても気の合う仲間も今では少しずつすれ違いを感じます。
変わってしまったのは相手なのか、それとも自分の方か。
脱サラをして興した事業が成功した友人の振る舞いを偉そうに感じるのは友人に問題があるのか、それともサラリーマンの自分が卑屈になっているだけかもしれません。
時間が経つと人は変わりますが、それは相手に限らず自分も間違いなく変わっているのです。
髪が薄くなった、体形が丸くなったと外見の変化だけではなく、甘辛人生を経験して成長した内面の変化もあわせて楽しめるようにならないといけないのですね。
同じものなど何一つありません。それに気が付くかどうか。
みなさんは如何お考えでしょうか。