ぼーんぐん。ものがたり

日常の暮らしの中で感じる心持ちをつぶやきます。

よそはよそ!昭和の「電子フラッシャー付き自転車」の記憶

こんにちは。ぼーんぐんです。

 

昭和の時代。私がまだ小学生の頃みんな憧れていた自転車がありました。

 

その自転車は「電子フラッシャー付きの自転車」です。

 

みなさんはご存じでしょうか。

 

電子フラッシャー付自転車とは、光の流れによる方向指示器や、5段階変速機、ダブルヘッドライト、フォグライトとサイドライトが取り付いた派手な自転車のことなんです。

 

「カッコ良かったな」

 

 

実用性よりも豪華な見た目や装備を優先した「ジュニアスポーツ車」の特徴として当時大流行していました。

 

私のクラスでも一人また一人と買ってもらう友達を見て、羨ましくなり母親にねだると、こう言われました。

 

「よそはよそ、うちはうち。あんたはまだ体が小さいから重い自転車は扱えないからね」と諭されます。事故にあわないようにと気遣ってくれます。

 

時が過ぎ、中学になって部活に入ると今後は有名メーカー製のジャージが流行ります。

 

今のようにお洒落ジャージが無い時代でも、有名メーカーのロゴとラインが気になるのです。

 

母親にねだると決まり文句が出てきます。

 

「よそはよそ。うちはうち。人が着ているから欲しいのかい。どれでも機能は同じ。それより汚れるジャージは洗い替えがたくさんあった方が良いでしょ」

 

考えてみたら今も庶民が社会に対して愚痴っている内容は似たようなものです。

 

そもそも人を傍目で見て羨ましがっても所詮人の話。「世の中は平等ではない」と叫んだところで救われるわけではありません。

 

一方、羨ましくない事故や病気は突然やってきます。

 

それは「お金のあるなし」や「容姿の良し悪し」「家柄」では決まらないものです。そして死はみんなに平等に訪れるのです。

 

人を見て苛立ちを覚えても何も変わらないということです。

 

それならば「人が幸せそうにしている姿を見て自分も笑顔になる」「人が間違いを犯していたら自分は間違わないように悪い手本にする」そういう生き方が出来たら最高なのでしょう。

 

人を見て苛立ちを覚える暇があったら、どうしたら自分の心を穏やかに保てるのかを考えた方が良いんでしょうね

 

私は母親は正しかったと思います。所詮「よそはよそ、うちはうち」ですものね。人の見た目を羨ましがり追うのではなく、見えない内面にこそ重きを置く。

 

昭和の電子フラッシャー付き自転車がそのことを思い出させてくれます。

 

みなさんは如何お考えでしょうか。