ぼーんぐん。ものがたり

日常の暮らしの中で感じる心持ちをつぶやきます。

バランスですね

こんにちは。ぼーんぐんです。

 

職場の同期の昔話を聞かされました。

 

彼がまだ駆け出し営業マンだった頃、自分の不得手な箇所はトーク術だと思っていたようです。

 

トップ営業マンになるには、自分のトーク術を磨き相手に納得の上で注文をいただくことだと考えたんです。

 

 

「商品の特徴」「他の商品との比較」「開発秘話」などを散りばめ、専門用語も相手にとって分かりやすい用語に置き換えて綿密にトークを組み立てた。

 

また他にも、お客様が興味を持つであろう他社の導入事例や業界の動向など、想定される色んな情報を頭に詰め込んだ。

 

しかし、努力は実を結ばず毎月の予算は相変わらず達成しません。

 

さらに客先でのトークを詰まらず説明できるように完璧に暗記もしたし、緊張して舞い上がらないように社内で模擬プレゼンもした。

 

それでも状況は一向に変わりません。

 

ところがそんな折、先輩営業マンに同行する機会を得た。体調を崩した社員のピンチヒッターで急遽行くことになったんです。

 

しかし彼はそこで先輩の営業術を見て驚いたと言います。

 

先輩はほどんと話をしないんです。

 

先輩は一通りの話が終わると、あとは相手が話す内容を頷いて聞いているだけ。時折出る質問に端的に答えるだけだったんです。

 

それでも商談の最後にはしっかり契約を結ぶことになったと言います。

 

商談帰り、彼はその先輩からアドバイスをいただきました。それから急激に成果を上げることができるようになったんです。

 

先輩のアドバイスはこうです。

 

「商談はお客様のお困りごとを伺う場。こちらからモノ売りをする場ではない」

 

目から鱗だったと言います。

 

彼が今まで契約の取れなかった問題は別の場所にあったのです。彼のトーク術ではなく聞き力だったのです。

 

このように、問題の解決策というのは、問題の起きている場所でないことが多いんです。身近な例でも、

 

「頭痛の原因が頭ではなくて胃腸が悪かったから」とか「腰痛の原因が腰ではなく歯の噛み合わせに起因していた」なんてことはよく聞く話ですよね。

 

そうなんです。

 

悩みや痛みが起きた時は、人はその場所ばかりを見てしまうものですが、全てはパランスなのだと思うのです。

 

全てのことには理由がある。

 

発想を変える事が大事なんですね。

 

みなさんは如何お考えでしょうか。