こんにちは。ぼーんぐんです。
夕方に庭先で、趣味の盆栽たちに水やりしていますと、家の前の通りを一組の親子連れが通っていきます。
まだ小学生低学年だと思われる女の子は、赤いお洋服を着て隣を歩くお父さんと手をつないでいます。
二人で楽し気に童謡を歌って通っていきます。
あんまりいそいで
こっつんこ
こっつんこ
あっちいって
ちょん ちょん
こっちきて
ちょん
水遣りの手を止めて記憶をさかのぼります。自分の子供がまだ小さかった頃のことを思い出します。
「あんなだったな、懐かしいな」
よくお年寄りが、小さな子供を見て口元を緩め笑顔になっている場面を見かけることがあります。
自分がまだ若所帯だったころ、小さかった子供を連れて公園や大型レジャー施設に行きますと、多くのお年寄りから話しかけら親切にしていただいたことを思い出します。
小袋に入ったお菓子や、ストローのついた紙パックのジュース。自分のために買ったであろうそれらの品物を私の子供の為に出してくれるのです。
有難い事だとお礼を言っていただいたものですが、当時はなぜこんなに親切にしてもらえるのかと不思議でした。
しかし今ならわかるような気がします。
みなご自身の子育ての記憶を重ねているんですね。
振り返ってみますと子育ての期間はあっという間。その真っ只中にいると気付かない事が後から気付くこともあるんです。
子育て中は余裕のない時もあります。
時には我儘を言う子供たちに声を上げて叱ったり、抱っこをせがまれても知らんぷりを決め込むこともあるものですが、後から振り返ると、もっとちゃんと子供に向き合ってあげられたのじゃないかと考えることもあります。
他人の子供を見るにつけそんな思い出が重なるようになるんでしょうね。
通り過ぎる親子ずれが歌う歌詞は2番になりました。
あいたたごめんよ
そのひょうし
わすれた わすれた
おつかいを
あっちいって
ちょん ちょん
こっちきて
ちょん
私は2番は知りません。でも当時も子供たちは歌っていたのかもしれません。
今、子供たちはすっかり大きくなり大学生になりました。最近は会話する機会も以前ほどではありません。
こんな情報をみなさんはご存じでしょうか。
関西大学社会学部教授の保田時男先生の研究によりますと、母親が生涯わが子と一緒に過ごせる時間は約7年6ヶ月。父親はもっとすくなく約3年4ヶ月なんだといいます。
本当でしょうか。
いつまでも、わが子と一緒に過ごす時間を持ちたいと思っていても実際はこれぐらいなんです。
子供もやがて親元を巣立っていき次の世代の子育てをする。その繰り返しなんです。
分かっていても・・寂しいですね。
先ほどの「わが子と一緒に過ごせる時間」ですが、子供が大学生を卒業するころには85%を使い切るといいますから、残された時間は僅かなものです。
お年寄りになるころにはもっと少なくなりますから、その寂しい気持ちを埋めるために他人の子にも優しさを与えたくなるのかもしれません。
逆に言うとお年寄りにこそ、もっと優しさを与えないといけないのでしょうね。
みなさんは如何お考えでしょうか。