ぼーんぐん。ものがたり

日常の暮らしの中で感じる心持ちをつぶやきます。

幸せに包まれたい

こんにちは。ぼーんぐんです。

 

「・・・ミーンミンミン・・ジジー

 

ひと月ほど前からセミがうるさいのです。枕元にセットしておいた目覚まし時計より先に鳴き出すセミに起こされ、けだるい朝を迎えています。

 

窓からは既にまぶしい朝日が差し込み、今日も厳しい暑さを予感させます。

 

「朝か。もう少し眠いな」

 

最近はやたらと体が重く、起きるのが億劫になります。

 

喉がカラカラなのは付けっぱなしのエアコンの影響なのか、熱中症か、それとも知らずに口呼吸になっているからなのか。

 

いずれにしても目覚まし時計の横に置いたマグカップの水を飲み干すまでは体が主人の言うことを聞いてくれません。

 

体の細胞という細胞がすべて乾ききって動きを停止しているようです。

 

「昨日は少し飲み過ぎたのかな・・」

 

ここ数年肝臓の数値は良くありません。飲酒や食事を少し控えるように医者からは注意を受けていますが、たまの休みにはつい気を許してしまいます。

 

いけませんね。

 

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人の体は病気と思われる症状だけで見るのではなくて、その原因を生活環境から紐解いていく考え方があります。

 

その考え方の基本は「全ての病気には必ず原因がある」というものです。

 

人の体は、食べ物として体内に取り込んだもので出来ています。ですから偏食や暴飲暴食は体に偏重をきたすのです。

 

しかし体の不調はまだ分かりやすいもの。

 

血液検査など一通りの健康診断の結果を見れば大方見当がつきますが、心の不調は簡単には見分けがつきません。

 

私たちの「心の病気」にも「体の病気」と同じ事が言えます。

 

そうです「全ての心の病気にも必ず原因がある」ということです。

 

人の体が食べ物から作られるように、人の心は、目や耳から取り込んだ情報や、相手と交わした言葉から作られています。

 

心の健康は「読む文字」や「聞く言葉」に大きく影響されるんです。

 

例えば劣悪な職場環境の中で長期間仕事をしていますと、やがて健康な心がむしばまれて心を病んでしまう人がでてまいります。

 

しかしその原因は”環境だけ”なのでしょうか。

 

もちろんブラックと言われる環境は確かに存在し、それが原因で心の調子を乱す方がいます。その場合はしかるべき申し立てをして環境改善に努めるべきです。

 

しかし、中には自分の思い込みで自ら劣悪な環境を作り上げてしまうこともあるようです。

 

人は勝手なもの。自分視点でものを見ますから、自分の思い通りにいかなければ自分が環境に害されている被害者だと考えてしまいます。

 

しかし一方で、自分も相手を害しているかもしれません。原因の一部は自分にあるかもしれないのです。

 

相手に対して発するネガティブな表現が、相手を傷つけると同時に、その反動が自分自身にも影響を及ぼします。

 

「自分が発したネガティブ言葉を最初に聞くのは自分の耳」「自分の書いたネガティブ文字を最初に読むのは自分の目」ということ。

 

自分が吐いた毒が自らに影響しているんです。

 

人は耳から入る情報と矛盾しない行動をとる動物だと言われています。

 

以前「ホンマでっかTV 」に出演されていた心理評論家の植木理恵さんも言っています。「人は自分の発した言葉どおりに生きるようにできている」と。

 

また、一時大ブームとなった「引き寄せの法則」も似た内容です。

 

自分が望むものに対してポジティブな言葉で願い続けると、その願いが現実となるという法則です。ネガティブな言葉は全く逆の効果です。

 

そしてこれは書いた文字でも同じ事が言えます。

 

ネガティブな文字からはネガティブな感情を増幅させ、ポジティブな文字からはポジティブな感情が高まります。ポジティブな感情は、自身の免疫力の向上や孤独感の軽減に繋がる効果を生むのです。

 

人とのコミニュケーションは対面はもちろんのこと、電話やメール、snsの投稿も含めて自身のアウトプットには注意が必要なんです。

 

相手が気に入らないからと罵り毒を吐くと、その毒の影響を最初に受けるのは自分自身だということ。

 

逆に相手に感謝し喜びを伝えると、最初に自分自身が幸せに包まれるんです。

 

人は自分や身近な人の幸福を願わない人はいません。

 

そうであるならば、自分の中にネガティブな感情が出てきましたら要注意。そのままアウトプットするのではなく、ポジティブに置き換えてみましょう。

 

劣悪な環境の中で心を病みそうな方は、今一度自らの発信している普段の言葉や文字に見直すべきところはないか点検してみましょう。

 

その行為こそが幸福への近道ではないかと思うのです。

 

みなさんは如何お考えでしょうか。