こんにちは。ぼーんぐんです。
懐かしのモノクロの写真をみています。
私がまだ幼かった頃の家族写真です。
昔は今のような手軽さで写真を撮ることもなく、何かの記念日か、どこかへ遊びに出かけた際に、その場所だとわかる背景を選んで数枚撮影したものです。
大抵みんなすまし顔。
撮る前には顔の横で掌を"パー"にしてカメラのピント合わせを手伝います。自動ピント合わせ機能はまだありませんからね。
そして必ず掛け声がありました。
「襟曲がってないか?髪は?撮るよ、はいチーズ!」
撮ったフィルムは写真屋さんに持ち込み現像という工程を経ます。そして数日待たないと印刷されないんです。
懐かしいですね。
フィルムには確か24枚撮りと36枚撮りが一般的で、サクラとフジの2大メーカーが販売を競っていました。
我が家では一度でフィルムを全て撮り切ることは稀でしたから、たいてい写真屋さんからプリントされて戻ってくると、季節を越えて忘れかけていた以前のイベント写真も混ざっていたものです。
また、数少ないプリントですから、大事なところで目を閉じていても仕方ありません。そのまま思い出と共に家族のアルバムに綴じられます。
そうして綴じられた家族写真は、その後何年も繰り返し見返され思い出話と共に記憶に定着します。
現代は撮影の環境も変わりましたね。
デジタルカメラ、スマートフォンの発明により、あらゆるシーンが手軽に撮影できます。そしてすぐに見ることができます。
便利な時代です。
しかし膨大な撮影データは持て余し気味でもあります。
データはそれぞれの機器の中で保管されプリントすることはほとんどありません。また根気のいるアルバムへの整理作業は皆無です。
大切な成長記録も「後でまとめてすればいいか」などと先延ばしするともう手遅れなんですよね。
私も先延ばしして子供たちの動画や写真の整理を諦めた1人です。
子供達が成長しますと自分のスマホで撮り始めますからもうダメですね。整理すること自体が無意味な行為にさえ思えてきます。
改めて昔のアルバムに目を落とします。
私が初めて立ち上がった時の一枚の白黒写真がそこにあります。
叔父から頂いた馬のぬいぐるみにつかまって満面の笑みです。
動画もなければ前後の写真もありませんから四角い枠の中に写っている一枚の写真の情報が全てなんですが、その一枚から鮮明にその場のシーンが再現されるんです。
なぜでしょうか。
それは一枚の写真の中に写っている限られた情報にプラスして、家族で繰り返し見ることで交わされる思い出話が記憶の中に定着するからなのでしょう。
頭の中では、その写真の周囲も一緒に映り込んでいるかのように情景が豊かに再現されるんです。
今日は立春です。
昔から暦の上では今日を境に春になります。
モノクロ写真の私の背景には、庭木の梅が満開を迎えています。
そして今朝、我が家の盆栽棚にある白梅が一輪咲き始めました。
自然は昔も今も何も変わりません。季節がくれば花を咲かせてくれます。
私達もまた本質は何も変わってはいません。
技術が進化しようとも子を思う親の気持ちには違いはありませんからね。
みなさんは如何お考えでしょうか。