こんにちは。ぼーんぐんです。
みなさんは"お勤め"の方でしょうか。
「天気が良すぎて暑い日」も「横殴りの雨が降って足が濡れる日」もそんな理由で会社を休めません。
いつも決まった時間に起床して、毎日同じ電車に揺られて職場に向かう、それが"お勤め"なんです。
私もそのうちの一人。大変ですよね。
そのような"お勤め"の方に問いがあります。
「通勤電車にいつも乗り合わせる"隣の人"の存在を感じているでしょうか」というもの。
隣の人?
はい。隣の人です。
いや正確には隣だけではありません。前の座席の人や奥の扉に寄りかかっている人など。「話をしないだけで、いつもすれ違っている"誰かさん"の存在を感じている」でしょうか。
・リュックを背負った小柄だけど元気な年配女性
・大きなお腹を揺すりながら乗り込んでくる汗だくの中年男性
・揃いの黄色い帽子と赤いランドセルを背負う小学生姉妹
すれ違ってる誰かさんが毎朝すぐ近くにいるんです。その存在に気がついているかどうか。
気付いている人は「変化に敏感な人」です。
「あれれ?所ジョージさん似のあの人今日いないな」とか、「ヘッドホンから音漏れしてるロックのお兄さん今日は寝癖ついてるね」みたいな発見をするんです。
さらには「そろそろ長袖の人増えてきたかな」とか「最近よく見るお洒落な紙袋、近所に新店オープンしたんかな」と想像も膨らみます。
観察してるんですね。
みなさんは如何ですか。
みなさんの電車に乗り合わせる人達はどんな人ですか。
「変化に敏感な人」は車内だけではありません。車窓から見える街の変化にも敏感なんです。
「古い長屋が解体されたと思ったら、今日はもう棟上げ。今風の三階建の戸建住宅なんだな」とか、
「あそこのブルーの屋根瓦、先日の台風で落ちたようだな。早く修理しなくちゃ雨漏りだね」みたいなこと。
人は興味を持たないと、視界に入っていても覚えていないんです。
「見てても見ていない」そんなものなんです。
靴を買いに行く人は、街ですれ違う他人の靴が気になる。秋の洋服を買いに出かけると、人の服装に影響されるものです。
意識をするって大事ですね。
でも意識するどころか、最近は他人に無関心な人が増えてるんです。「見てても見ていない」状況がさらに悪化して、そもそも「視界にすら入っていない」。
何故なら、みんな手持ちのスマホを見ているから、周りを見ることをしてないんです。
現代は情報過多の時代だと言われて久しくなりました。人が処理できる情報量には限りがありますから、インプットを制限する必要があります。
でも情報の選択という名の情報の偏りであってはいけません。
自分が見たい情報しか見えなくなる「フィルターバブル」には気をつけねばならないんです。
電車の中、病院の待合室、顧客アポまでの時間つぶし、よくある隙間時間をスマホに依存してはいませんか。スマホに頼らず敢えてアナログな情報にも触れてみる事をおすすめします。
そうすると、道路脇の植え込みや空き地で咲く「秋の七草」にも気付くかもしれません。
手元のスマホに向ける視線を周囲に向けるだけで気分も変わります。そうすると、今まで気が付かなかった電車で乗り合わせる"誰かさん"の変化も楽しめるかもしれませんよ。
みなさんは如何お考えでしょうか。