ぼーんぐん。ものがたり

日常の暮らしの中で感じる心持ちをつぶやきます。

笑い飛ばしちゃえ

こんにちは。ぼーんぐんです。

 


最近の私は”ぼーっと”しているのでしょうか。可笑しなことをして家族に笑われています。

 


例えば先日の入浴後こんな事がありました。

 


普段の私は風呂上がりの脱衣場で「体重計に乗ること」と「青竹踏み200回」を習慣にしています。

 


その日も同じようにしていたつもりだったのですが何だか足元がおぼつかないんです。何だろうと思って足元を見てみますと体重計の上で青竹踏みの足踏みをしていたんです。

 


信じられないでしょう。私も信じられません。笑

 

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人の習慣など当てになりません。またその行為に疑問を持ったり確かめようとしても自分の記憶に確証が持てないで不安になる動物の様です。

 


例えばこんな事ありませんか。

 


外出してから「玄関扉閉めたっけ」とか、職場で大雨の天気予報を見ると「部屋の窓を閉めていたっけ」など自分の行動に確証をもてない事を。

 


大抵は取り越し苦労で終わるのですが、加齢とともに定着していた筈の習慣が本当に抜けていて開けっ放しの時も稀にあります。

 


そうなるとさらに自分に自信が持てずに心配は加速してしまいます。

 


そんな経験ありますよね。みなさんどうなさいますか。

 


私は最近は諦めて笑うことにしています。

 


「あはは。仮に玄関開いてても仕方ないな。取られるもの無いし」「大雨で部屋が濡れても帰ってから拭けばいいや」なんてね。

 


人は必ず老います。いつまでも完璧などありません。となるとクヨクヨしても楽しくありませんから”笑うこと”を自分流にしています。

 


もちろんそうならぬように注意はするのですよ。

 


しかし人の集中力など高が知れています。せいぜい頑張ったところで限界があるものです。

 


みなさんも想像してみてください。

 


仮に職場で単純作業の応援に駆り出されたとしましょう。

 


作業内容は「自社の新商品の告知チラシ」。A4サイズのチラシを奇麗に三つ折りにして透明な袋に封入する仕事。各自が時間内に三千枚折り込むとしたらどうでしょうか。

 


最初の数百枚は言われた流れに沿って「角が曲がってないか」「表が揃っているか」「50部単位に輪ゴム掛け出来ているか」とチェックしながら行動を意識しますが、やがてコツを掴んでテンポよく慣れてくると集中が切れてきます。

 


チラシ折りの動作とは別に頭の中は別のことを考え始めます。

 


「今日の昼ごはん何食べようかな」とか「この作業の後に送る取引先へのメールの文面どうしようか」とかね。

 


みんなそうなんです。

 


だから単純作業は集中力が切れぬように立ち仕事の方が効率がよく、複数人での相互チェックを入れるんです。縦横斜めで数を確かめたり声だし作業とかね。

 


人は間違える生き物。

 


そう考えると相手にも優しくなれる。

 


完全完璧などない。

 


一度や二度、口で相手に指示したことが出来なくても当然のこと。相手を責めるのではなく自分の伝え方を見直す。

 


そうしてお互い相手を認める事が出来る寛容な社会でありたいですね。

 


大切なことは自分も追い込みすぎない事。

 


自分にも優しくありたい。

 


私も「体重計で青竹踏み」の行動で老いを感じて暗くなるのではなく「これはチャンスだ!”王様のアイディア”で商品化してもらおうか」と笑って前向きに考えることにします。

 


失敗を笑い飛ばすことが一番ですよね。

 


みなさんは如何お考えですか。