ぼーんぐん。ものがたり

日常の暮らしの中で感じる心持ちをつぶやきます。

”さん付け”指導の是非

こんにちは。ぼーんぐんです。

 

クラスメートを「あだ名」で呼んだり「呼び捨て」にしたりせずに「さん付け」するように指導する小学校が増えています。

 

理由は、身体的特徴を揶揄するようなあだ名は、いじめにつながるケースがあるからだといいます。

 

本当でしょうか。

 

 

似た話に職場での「さん」づけ徹底があります。

 

もちろんこれは会社都合のものです。

 

年功序列を廃し、徹底した実力主義の会社にするために、上司に対して役職で呼ばずに「さん」づけする、また上司が部下を呼ぶときにも「さん」づけすることを徹底させているのです。

 

もともと日本の組織は年功序列が常でした。その組織の中では上司が部下を呼ぶときに呼び捨ては当たり前に行われ、または「くん・ちゃん」づけすることで、上下関係を固定させる印象を持たせる効果があったのです。

 

しかし現代の実力主義の会社ではこれは弊害になります。部下からは上司には一生逆らえないかのような空気が出来てしまうからですね。

 

職場での「さん」づけ徹底は、若い社員や女性ものびのび働ける。自由な意見も出る。できる社員を引き上げて、昇格させやすい環境を狙っているのです。

 

では、小学校の「さん付け」指導はどうなのでしょうか。なにか本当の狙いがあるのでしょうか。

 

小学生の子供を持つ親の世代に、あだ名禁止ルール是非について伺ったアンケートの結果があります。それによりますと、指導反対 23.2%、指導賛成 20.3%と結果が拮抗していて、圧倒的多数の要望をもとに小学校で指導が始まったわけではないようです。

 

あだ名とは何でしょうか。改めて調べてみますと、このような解説があります。

 

「他人を呼ぶ際、本名の代わりに使用される別名。他人を親しみ、もしくはあざける気持ちから、その人の容姿・性質・くせ・特徴などをもとに、一般に他人が考えて付けた名称」

 

あだ名には、友だちとの距離を縮める利点がある一方、イヤなあだ名で呼ばれてしまうと、辛い思いをする人がいるのも事実なんですね。

 

難しい問題です。

 

私は親しい友達との間では普通に今でもあだ名で呼びあっています。そのほうが心地いいからです。逆に「さん付け」でもしようものなら別の意味にとられかねません。ですから友達の間柄での「さん付け」には違和感しかないのです。

 

本人がどうすることもできない事柄を元にあだ名を付けられて嫌な思いをすることがあるとしたならば、これは避けなければなりませんが、小学校の指導で一律に子供たちを縛ってしまうのは、子供たちの自由まで制限することにならぬかと心配するところです。

 

いじめがあると学校側の責任が追及されます。

 

しかし規則やルールで子供を縛ることが本当に良いのか。指導者側の保身のためではなく、長い目で見て子供に寄り添った対策であることを祈りたいのです。

 

みなさんは如何お考えでしょうか。